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428: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19 39 18 HOST sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp 日米枢軸ルート 第12話 改訂版 西暦1901年7月に締結された北京議定書によりひとまず支那大陸での戦乱は終息に向かって行くが、それで日本に平和が訪れたかと言うとそうではなかった。その理由は簡単である。米比戦争をフィリピンで行っていたアメリカ合衆国が日本に援軍を要請したためである。 フィリピンを手にれた当初のアメリカ合衆国はフィリピンを完全に自らの勢力下に置くために、同盟国である日本の仲介や援軍を断り、あくまでも独力でこの戦いに勝利することにこだわっていた。しかし、ゲリラ戦で戦うフィリピン側の激しい抵抗から当初の予想より多い損害だしてしまい、とうとう独力での鎮圧と言う方針を転換してしまったのだ。 さすがの日本もこの要請には本気で頭を抱えたが、同盟国であると言う事からこの要請を無下にできなかったことから、本心では日本はあまり派兵をしたくはなかったものの費用をアメリカが負担することとフィリピンの市場を開放することを条件として、仕方なく1個師団2万人を派兵することを決定する。しかし、派遣が決定したあとも軍内部のゴタゴタによって実際の派兵は遅れることになってしまった。 当初、派兵を行う予定であった海軍海兵隊は義和団事件中から再編成した自慢の自動車化師団をフィリピンに送り込むことを計画しており、その準備も行っていた。しかし、フィリピンのインフラが予想以上に整っておらず、さらに亜熱帯と言うこれにとから自動車化部隊を派遣しても運用が難しいと言う判断が下され、この計画はお蔵入りされることになってしまう。 それどころか、海軍海兵隊が軒並み自動車化師団もしくは機甲師団に改編されていたことで海兵隊が派兵に難色を示し初めてしまい、完全には自動車化が行われていなかった陸軍にお鉢が回っていった。 当然、突然の派兵命令に陸軍省と陸軍参謀本部は驚愕と不満を隠せなかったが、文民統制の名の下に政府の下に置かれている陸軍がそれを拒否できるはずもなく、最終的には陸軍遣比軍の創設と、フィリピンと同じく亜熱帯地域である台湾の防衛を担っていた陸軍第23歩兵師団を遣比軍の実働部隊としてフィリピンに送り込むことを決定する。 この間にアメリカ合衆国ではマッキンリー大統領が無政府主義者に暗殺されると言う事件が発生し、世間を騒がせることになるがそれでも副大統領であったセオドア・ルーズベルトが大統領に昇格することで混乱は最小限に留められ、米比戦争にはとくにこれといった影響は出さずにすんだ。 1901年9月20日には日本軍の第一陣として送り込まれた1個歩兵旅団がマニラに到着し、アーサー・マッカーサー中将(日本陸軍の師団司令官は中将のポストであったため昇進した)率いるアメリカ軍フィリピン駐留軍と合流。その後も順次日本陸軍の援軍が到着していき、1901年9月30日から主にレイテ島を中心にしてアメリカ軍と共同でフィリピン独立派との戦闘を開始していった。 この日本陸軍遣比軍の戦いは公式にセオドア・ルーズベルト大統領が戦争終結を表明する1902年7月4日まで続いていく。 429: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19 40 22 HOST sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp フィリピンでアメリカ軍と第23歩兵師団が地獄のゲリラ戦を繰り広げていく一方で、アジア唯一の列強である大日本帝国の本土ではフィリピンで現在おきている戦争よりも将来おきるであろうロシア帝国との戦争に備える動きが活発化していた。 米比戦争への参戦から2ヶ月と経たない1902年11月には露土戦争以降、軍事的・経済的な協力関係国であったオスマン帝国とスエズ防衛条約及び日土安全保障条約を締結し、日本帝国海軍地中海艦隊および陸軍中東方面軍を正式に創設。 それまで暫定的な駐留とされていたスエズ運河防衛部隊を陸軍中東方面軍に、ギリット戦隊を地中海艦隊に改編した上で地中海方面に恒常的に駐留させる事を公式に発表した。 同時に、ロシア帝国と開戦した場合に備え、スエズ運河利権の防衛を名目にスエズ運河地帯およびシナイ半島の軍事基地化を推し進めるなど中東におけるプレゼンテーションの向上を図っていく。 事実上のスエズ運河の要塞化を宣言した翌年の1902年8月には、日本政府はロシア帝国による不当な満州占領への制裁措置としてロシア国籍の軍艦のスエズ運河通過を禁止する事を発表する。 これはヨーロッパ側で軍艦建造し、海路で極東まで送っていたロシア海軍の太平洋方面の戦力拡大を思いとどまらせる上で極めて有効な手段であり、実際に回航コストの増大によりロシア帝国海軍太平洋艦隊は当初の計画より規模は縮小することになる。 ロシア海軍のスエズ運河使用を禁止し、アジア方面でのロシアの海上戦力拡大に冷水を浴びせる一方で、日本政府はロシアを外交的に孤立させるためのプロパガンダ工作にも力を注いでいた。 欧州では海軍省情報部や陸軍情報部、統合情報局などのインテリジェンス機関が外務省と協力して欧州各国の知日派や自称先進的知識人、マスコミと接触し、満州でのロシアの過酷な占領政策をさらに誇大化しつつ広めることで欧州における反ロシア感情を成熟させるなど、欧州におけるアンチロシア工作ふぁ開始されていた。 幸いにしてロシアの満州における清国人の扱いは苛烈の1言に尽きるものであり、事実を多少誇張させる程度で十分に反ロシア感情を煽るに足るセンセーショナルな記事をいくらでもかけてしまう。 軍事面では1875年から実施していた両洋艦隊計画が最後の段階を迎えており、日本海軍は来れまで酷使してきた旧式戦艦群を退役させていき、戦艦12隻、巡洋戦艦12隻、空母(及び軽空母)16隻を中心とした新世代の艦艇達が充足しつつあった。 地上戦力としても日本海軍海兵隊は10個師団8個旅団体制まで拡大した上で、完全な自動車化、もしくは機甲師団化を完了していた。 また、機械化率では海兵隊には劣るものの、日本陸軍でも部隊の機械化(自動車化)が精力的に行われており、その戦力の6割の機械化が終了しているなど世界では最も先進的かつ機動的な軍隊にまで成長している。 今だに日本でしか実用化されていない動力付き航空機達もその数、種類ともに効果的に実戦で運用できる状態であり、老朽化しつつあった日本の軍備は完全に近代化を遂げたと言っても過言ではなかった。 余談であるが、こうした新兵器群の開発や生産・配備に関して日本軍は徹底した情報管理を行うこととなる。しかし、いくつもの企業と多くの人間が関わる以上、完全に情報を秘匿し続けることなどできるはずがない。 実際、イギリスは勿論として他の欧州列強の情報機関でも朧気ながら日本の新兵器群の情報を掴んでいた。掴んではいたのだが、日本が行った直近の戦争である朝鮮戦争にすら投入しない徹底した日本側の情報秘匿とダミー情報の類付、さらに新兵器郡の性能やコンセプトがSFじみた内容であったことから、欧州列強の本国でこれらの情報が信じられることはなく、日本の軍備を軽視してしまっていた。 日本がロシアとの戦争を見越して軍拡や外交を行っていた一方、日本に仮想敵国と見なされていたロシア帝国では「日本と戦争になるかだって? 日本がそんな愚かな判断を下さないだろうし、だいたい我が国と日本は20年来からの友好国だろう」と言う意見が大半を占めるなど日露関係を極めて楽観視していた。 ロシアの民衆のみならず、サンクトペテルブルクのロシア帝国中央政府も同様の考えであり、『彼ら視点では』という前書きこそ存在するものの、今後も日露関係が良好であることを願っていた。 遼東半島を勢力圏におくことを画策し、朝鮮との国境近くでロシア軍が軍事訓練を行うなど、日米に対す挑発行為を幾度も行いながらも多くのロシア人達はそう考えていたのだ。 最もロシア帝国極東軍および同極東総督府の考えは国内とは違っており、遼東半島や朝鮮半島、さらには日本本土に対してその野心を隠そうとすらしていなかった。 1902年にはロシア帝国極東総督府はロシア外務省とは別のルートで日本に対して、 朝鮮半島の非武装化および日本・朝鮮市場の全面解放、 日本近海およびスエズ運河の航海の自由、 北方の領土再画定交渉 といった3つの要求を公的に日本政府に提示する。しかも、条件を受諾しなかった場合には、ロシアが保有する日本大陸への潜在的な権利を行使せざるを得なくなるというおまけ付きで。 当然、日本政府はロシア側の要求を全て拒絶。外交常識を何処かにおいてきたかのようなこの要求に日本政府および夢幻会は怒りを通り越して呆れてしまい、アメリカ合衆国政府および日米両国民ではロシア脅威論が台頭していった。 430: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19 47 02 HOST sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp ロシア極東総督府がここまで強硬な態度を取っていた背景にはロシアが極東に貼り付けていた大軍の存在がある。 この時のロシア帝国は満州に50万人、シベリアに30万人近い兵力を展開させており、さらに新造戦艦8隻、新造巡洋艦16隻を中核とした太平洋艦隊を展開させるなど表向きは強大な戦力を極東に集中させていた。 また、史実とは違いこの時点で既にシベリア鉄道が全線開通しており、さらに満州にいた清国人を動員して敷設した満州鉄道と連結させることにも成功していたため、ヨーロッパより迅速に満州に兵力を送り込むことが可能となっていた。 シベリア鉄道の開通と満州鉄道との連結の成功はロシア極東部と欧州ロシアの距離が従来とは比べ物にならないほど縮まったことを意味しており、もしもの場合が起きたとしても迅速に地上戦力の増強とそれを支える補給線の確率をロシア軍は可能としていた。 こうした大規模な軍事力がロシア極東総督府の強硬路線を支える自信の源の1つであったのだ。 一方のロシア視点から見た日本側の軍事力であるが、地上戦力は数こそ多いが白人たるロシア人に勝るはずがないとナチュラルに考えており、彼らの自慢とする海上戦力も戦艦36隻、装甲巡洋艦42隻と言う文字通りアジア最大の海上戦力を有する海軍であったが、そのうち比較的最近に建造された24隻は朝鮮戦争ですら海に浮かべる以外の活動をしなかった(できなかった)欠陥戦艦と欠陥装甲巡洋艦であると見なされており、事実上の戦力は戦艦24隻、装甲巡洋艦30隻と計算されていた。 そして、これらのうち戦艦6隻と装甲巡洋艦6隻が地中海艦隊に、戦艦6隻と装甲巡洋艦6隻は北米に、装甲巡洋艦2隻は南太平洋に展開している。 すなわち、ロシア側の視点では日本本土に待機する“欠陥品ではない”主力艦は戦艦12隻、装甲巡洋艦16隻のみであったのだ。 しかも、このときのロシアが日本の戦力として数えていた主力艦達はどれも艦齢20年を超えるロートル艦達である。 極東総督府が日本を相手にしたとしても十分勝機があると考えてしまうのも致し方なかった。 無論、実際には日本の軍備はそんな貧弱ではない。 陸軍は大規模な軍拡を行っていないとは言え、元々常備兵力だけでも100万人という兵員を抱えているアジアはもとより世界でも有数の規模を誇っており、さらに上記したように戦車や装甲車、自動車、自走砲などの最先端の兵器やその他の火砲などの従来兵器をこれでもかと用意していた。 海軍はもっと酷い。彼らが欠陥が酷くて戦争に投入できなかったと考えていた戦艦や装甲巡洋艦(巡洋戦艦)24隻のうち16隻が史実88艦隊計画で構想されていた16インチ砲を搭載高速戦艦群であり、残りの8隻も史実伊勢型戦艦と金剛型高速戦艦をモデルに建造された超弩級戦艦といった状態であり、砲撃戦だけであっても余裕でロシア太平洋艦隊を完封できるだけの戦力を本土に待機させている。 さらに、日本軍は当時では世界で唯一飛行船以外の飛行機器を有する航空部隊を抱えている軍隊でもあり、実際の日本軍は文字通り世界最強と言えるだけの戦力を保有していた。 朝鮮戦争でこれらが投入されなかったのは、単に清国がこれらの兵器を投入するほどの敵ではなかったことと、十分な戦力を保有する正解を見せつけて欧州列強の兵器の開発促進や建艦競争を促進したくなかったためでしかなったのだ。 最も、戦争で故意に旧式兵器縛りなんて舐めプを行っていた何て信じろという方が無理であろう。まだ欠陥品で表に出せないといった方が信憑性がある。 日本の思惑と想定と実際の戦力の差をつゆ知らないロシア帝国では、1904年5月にはロシア帝国の御前会議にて 『ロシアの経済的利益は、その利益を保護するため極東において武装の必要を生じた。』 とする覚書が承認されてしまい、 鴨緑江の朝鮮側の河岸で主権を握ること。このため該事業に軍略的色彩をかくさず且つ朝鮮政府よりの利権獲得を具体化せざること。 鴨緑江の支那側沿岸にて利権を獲得せずに主権を握ること。 該事業に外人を参加させないこと。 外人を満州に干渉させないこと。 と言う「寝言は寝て言え」レベルの決議が議決されてしまう。 そして、この決議が公布されるや否やロシア帝国極東総督府の命令のもとロシア帝国軍が無通達にて鴨緑江を渡河し、鴨緑江河口の龍岩浦を軍事的に占領、その近辺の住民(日本国籍やアメリカ合衆国国籍を有している人間)の財産を強制的に徴用し、住民を退去させ軍事拠点を築きはじめると言う暴挙をやらかしてしまう(後にアメリカ人に与えた損害は補填するが)。 431: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19 47 36 HOST sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp この行動は日米はもとよりイギリスやドイツ、果ては同盟国であったフランスなどの欧州列強が抗議や非難を行うが、悪い意味でロシア的であった極東総督 エヴゲーニイ・イヴァーノヴィチ・アレクセーエフはこれを無視、そのまま龍岩浦を占領し続けた。 当然、このような状況を日本が見過ごす訳がない。 日本側は直ちに陸軍を動かす。具体的には朝鮮防衛の為に駐留させていた第20歩兵師団、第24歩兵師団の2個を出動させると同時に、本土から10個師団を増援として急派した。 それだけではない。さらに1893年より生産を開始していた新型戦闘攻撃機である93式戦闘攻撃機(史実P-47)や主力爆撃機である94式軽爆撃機(A-26)などで編成された航空部隊も派遣する。 海軍も舞鶴にいた第6警備艦隊を緊急出港を行い、さらに再編成が完了していた第3常備艦隊、第4常備艦隊の出撃も命令する。また、海兵隊からも6個師団を朝鮮に送り込むことを決定、さらに海軍も最新鋭爆撃機であった92式戦略爆撃機(史実B-17G)や主力爆撃機であった91式戦略爆撃機(B-24)などの航空戦力を送り込んでいった。 さらに日本本国では動員令が発令、国内の軍需工場はその全てが夜間生産(24時間生産)態勢に突入するなど全面戦争に備えて動き始める。 日本の同盟国であるアメリカ合衆国も日本と協調してロシアの暴挙に対応するために、アジアに展開する部隊の上位組織としてアメリカアジア軍を創設。 その初代司令官としてアーサー・マッカーサー中将を任命する。司令官となったマッカーサー中将は日本との共同歩調をとりやすくするために東京のホテルを1つ丸々借り受け、仮設司令部を設置した。 また、これと同時にフィリピン駐留アメリカ軍から2個師団4万人を抽出し、韓城に司令部をおいている日米連合軍朝鮮方面司令部の指揮下に提供するなど彼らなりにロシアとの戦争の準備を急速に進めていく。 こうして戦争に備えていく一方、戦争反対派であった伊藤博文を代表とした特命全権団をペテルブルグに派遣するなどの日本側も戦争を起こさずに事態の平和的解決を目指す動きも活発に行われた。 しかし、積極的な主戦論を主張していたロシア海軍や関東州総督のエヴゲーニイ・アレクセーエフら強硬派などは朝鮮半島でも増えつつあったロシアの利権を妨害される恐れのある妥協案に興味を示さず、これにニコライ2世やクロパトキンなどのペテルブルグ側も同調するなど、日本の動きは報われることはなかった。 それでも戦争を避けようと伊藤博文はロシア帝国と交渉を続けることを提案し続けていたが、ロシア帝国政府内の戦争反対派であったロシア帝国首相 セルゲイ・ウィッテが更迭されたとの報告を受けると伊藤もとうとう折れ、開戦に同意する。 こうして、アジアでは欧州最大の陸軍国家と太平洋を挟む二大列強連合との争いが始まろうとしていた。 432: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19 48 11 HOST sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp スエズ防衛条約 正式名称は スエズ運河および運河地帯に関する相互協力および安全保障条約 と言いい、オスマン帝国が日本帝国にたいして自国の領内にあるスエズ運河の防衛に必要な最低限度ではあるがスエズ運河地帯および日本とオスマン帝国両政府が合意した地域の軍事拠点化と軍駐留を認めると言う条約。 この条約によってスエズ運河地帯とシナイ半島、テッサロニカ、ハイファの2港を日本が自由に使えることになり、大日本帝国海軍地中海艦隊や大日本帝国陸軍スエズ方面軍が正式に創設される。 日土安全保障条約 オスマン帝国と大日本帝国の間で締結されている軍事同盟。オスマン帝国が侵略された場合に日本が戦争に参加する事を明記した独立保証条約であり、これによりオスマン帝国は正式に日本の同盟国となった。 433: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19 49 08 HOST sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp 以上になります。wikiへの転載はOKです。
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テスト -- 管理人 (2008-10-24 20 07 02) 日本軍・地上兵器の兵器進化経路一覧をおねがいします。 -- いがらっく (2008-11-03 13 43 00) できれば、将官殿がどこで参戦されるかの一覧をお願いします -- 予科練 (2008-11-07 22 23 12) 鹿児島湾演習を1942年1月2日早朝までやったら報酬が9999999になりました。 フリーズもしないし他の場所で異常はありませんでした。 -- kage (2009-04-04 11 49 22) あ -- あ (2011-07-24 16 24 20) 戦艦大和が開発できません -- 名無しさん (2011-07-24 16 24 53) キャンペーン攻略作って -- q (2011-09-18 19 06 42) 搭乗員の得意兵器をお願いします -- 佃煮 (2011-10-29 13 22 34) 大和強い -- 憲兵大尉 (2012-12-24 00 30 12) 兵器の改良費が資金を上回っているときに改良すると、 次のミッションで資金がMAXになるバグがあるようですね。 -- 名無しさん (2013-02-11 19 11 34) 搭乗員、空・松野和雄はミッドウェイです。 また、珊瑚海海戦で、空・東沢博義(西沢広義・海軍)を 確認しました。 -- 名無しさん (2013-02-19 18 21 53) 空搭乗員 竹井純一(笹井醇一・海軍)…フィリピン 余藤鐘義(武藤金義・海軍)…フィリピン 牧々木勲(佐々木勇・陸軍)…フィリピン 減藤武夫(加藤建夫・陸軍)…コタバル です。 -- 名無しさん (2013-02-19 18 32 23) 米軍艦上機のバンシーとかってどうやって作るんですか? -- 名無しさん (2013-04-25 08 42 07) C-47Bスカイトレインとクラーケアを鹵獲してセットで運用すると便利です。 -- 名無しさん (2013-07-01 22 17 09) PSP版のバグなんですけど 偵察機などの3~4機編成の部隊で定数以下の状態の隊に対して合流すると 定数を超える機数になります(最大10機まで) -- 名無しさん (2013-07-01 22 28 35) テスト -- 名無しさん (2014-06-09 10 54 51) 瑞穂型の水上機母艦に搭載したまま改良すると搭載されたままで水上機以外になります。 強風から陣風の進化で確認しました。PSP版になります -- 名無しさん (2019-02-12 01 15 48) インパール作戦の指令書で記入ミスがありました 日本軍の根拠地が2→実際は3 英国軍の根拠地が1→実際は2 陸軍基地が1→実際は3 飛行場が0→実際は1 英印軍の根拠地が1→実際は2 以上です -- 名無しさん (2019-03-03 19 43 07) 今更ですが、日本軍でも1つだけ核搭載兵器を運用する方法があります。帝都防空第二戦で2ターン目(広域マップ)に米国飛行場へ出てくる増援のB29が核搭載型なので上手く鹵獲すれば運用も可能です。 -- 名無しさん (2019-03-10 22 50 05) 名前 コメント
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レアジョブ 本店:東京都渋谷区神宮前六丁目27番8号 【商号履歴】 株式会社レアジョブ(2007年10月18日~) 【株式上場履歴】 <東証マザーズ>2014年6月27日~ 【沿革】 平成19年10月 東京都文京区白山にオンライン英会話事業を目的とした株式会社レアジョブ(資本金6,100千円)を設立 平成19年11月 オンライン英会話事業を開始 平成20年3月 本社を東京都千代田区内神田に移転 平成20年10月 フィリピン共和国のマニラで講師の安定確保を目的として、「RareJob Philippines, Inc.」(資本金9,350千フィリピンペソ)を設立 平成21年8月 法人向けサービスを開始 平成22年3月 本社を東京都渋谷区渋谷に移転 平成23年5月 Android搭載スマートフォン向けアプリケーションの開発について、KDDI株式会社と業務提携 平成24年1月 本社を東京都渋谷区桜丘町に移転 平成24年1月 登録ユーザー数が10万人を突破 平成24年6月 「RareJob Speaking Test」を法人向けに提供開始 平成25年2月 Japan Venture Awards 2013 中小機構理事長賞を受賞 平成25年2月 プライバシーマークの認証取得 平成25年6月 ビジネス英語強化レッスンパッケージ「RareJob for Business」を法人向けに提供開始 平成26年6月 東京証券取引所マザーズ市場に株式を上場 平成26年7月 英会話アプリ「Chatty(チャッティー)」を提供開始 平成26年9月 情報セキュリティマネジメントシステム(ISMS)の認証取得 平成27年5月 「レアジョブ英会話」「一般教育訓練給付制度対象コース」を提供開始 平成27年5月 本社を東京都渋谷区神宮前に移転
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釣法 魚ノート カサゴ(笠子) marbied reckfish 日本各地、フィリピンに分布。 沿岸岩礁域に生息する。 大きさは、20-30cmが平均的なサイズである。 その容姿に似合わない上品な味であることから、 釣りの対象魚としても非常に人気が高い。 底にいるいわゆる根魚で、当然仕掛けも 投げ込むタイプのものとなる。 エサは、イソメ類やエビ類を用いる。 卵をおなかの中でかえし仔魚を産出する 卵胎生魚として知られる。 仔魚は冬から春にかけて産出される。 【海の五目釣り】 釣るコツ
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マハルマカカアコ(マハル・マカカアコ) フィリピンのミンドロ島の創造神。 一本の木を持ち、その枝に止まっていた虫の糞から地球を作り、まず地球には虫に覆われた、という変わった創世神話をもつ。 その後、マルウェイとダリダリを作り、平地と山を作らせたとされる。 関連: マルウェイ (息子) ダリダリ (息子)
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カリンガ ~Kalinga~ 基本スペックと定義 全長 45~65cm 重量 1.5~2.5kg 地域 東南アジア 年代 15?~近世 特徴的な斧頭を持つ、フィリピン等で使われていた斧がカリンガである。 欧米ではヘッド・アックスとも呼ばれている。 フィリピン共和国のルソン島北部の山地民であるイゴロット諸族(※)が用いた戦斧である。 斧は横に幅広に重く作られ、刃の反対側には尻尾のように伸びた突起がある。 斧刃は部族ごとに違いがあり、カーブがあるものや真っ直ぐのものとがあるという。 ※アパヤオ、ティンギャン、カリンガ、イフガオ、ボントック、カンカナイ、イバライ、ガッタン族の総称をイゴロット諸族と言う。 部位別の呼称 1 斧頭:アックスーヘッド(AxHeads) 2 斧刃:アックス・ブレード(Ax Blade) 3 口金:ソケット(Socket) 4 柄:ポール(Pole) 5 石突:バット(Butt) 使用用途 斧としての用途と、反対側の突起を使って相手を突き刺すという用途がある。 ただしこの突起は、使用しないときに地面に突き刺すためのものであり、相手を突き刺すという用途は稀である。 2010年 2月5日更新 参考文献 ・文献 新紀元社 武器事典 市川定春 著 ダイヤグラム・グループ 武器―歴史、形、用法、威力 田島優 北村孝一 著
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マーレフィルターシステムズ 【商号履歴】 株式会社マーレフィルターシステムズ(2005年~) 株式会社マーレテネックス(2002年4月~2005年) 株式会社テネックス(1996年10月~2002年4月) 株式会社土屋製作所(1945年7月~1996年10月) 【株式上場履歴】 <ジャスダック>2004年12月13日~2005年4月26日(株式会社マーレテネックスホールディングスに株式移転=金銭交付) <店頭>1990年10月 日~2004年12月12日(店頭登録制度廃止) 【沿革】 昭和20年7月 事業基盤の確立と今後の拡大に備え東京都豊島区に資本金19万円をもって株式会社土屋製作所を設立 昭和38年5月 埼玉工場(埼玉県川越市)総合工場竣工し、エレメントの生産を開始 昭和38年12月 埼玉工場所在地に技術研究所竣工 昭和39年11月 資本金1億3千万円に増資 昭和40年3月 資本金2億円に増資 日産自動車㈱、いすゞ自動車㈱、資本参加 昭和43年6月 埼玉工場所在地に工場を統合 昭和44年9月 資本金3億円に増資 昭和45年7月 米国フラム社と技術提携 昭和46年4月 資本金4億5千万円に増資 昭和46年5月 栃木工場(栃木県真岡市)竣工し、オイルフィルタ・エアクリーナの生産を開始 昭和48年10月 資本金8億円に増資 昭和50年12月 茨城工場(茨城県真壁郡大和村)竣工し、フュエルストレーナ等小型樹脂製品の生産を開始 昭和52年8月 九州工場(福岡県田川市)竣工し、エアクリーナの生産を開始 昭和52年10月 資本金10億円に増資 昭和53年4月 福利厚生部門を分離し、㈱土屋弘済会を設立 昭和53年10月 タイ王国にサイアム モーターズと合併で、サイアム ツチヤ マニュファクチャリングを設立 昭和56年12月 小型、軽量化カートリッジオイルフィルタの量産開始 昭和57年3月 資本金12億円に増資 昭和62年3月 米国日産自動車製造会社向けのエアクリーナ・エレメント等を供給するため、テネックス インダストリーズ インクを米国テネシー州に設立 昭和62年10月 工機部門を分離し、㈱ツチヤテクノを設立。 昭和63年3月 当社の部品購入先である日和工業㈱を買収。(現連結子会社) 昭和63年10月 米国における技術情報収集のためテネックス エンジニアリング インクを米国ミシガン州に設立 平成2年3月 埼玉工場の名称を本社事務所及び本社工場に変更 平成2年10月 社団法人日本証券業協会に株式を登録し、資本金22億7千万円に増資 平成3年12月 英国における商取引及び技術支援業務のため、テネックス ユー ケー リミテッドを英国に設立 平成4年10月 英国にエアクリーナ テクニカル サービス社と合併でビーコル リミテッドを設立 平成7年7月 米国における事業効率化を狙いとして、テネックス インダストリーズ インクがテネックス エンジニアリング インクを合併 平成8年1月 欧州における商権の確保と事業拡大のため、エイシーティエス社(旧エアクリーナ テクニカル サービス社)の株式を100%取得 平成8年5月 海外生産移転により、日本市場における価格競争力の強化を狙いとして、比国にテネックス フィリピン社を設立 平成8年10月 社名を「株式会社テネックス」に変更 平成9年1月 英国のエイシーティエス社がビーコル リミテッドを合併 平成9年3月 英国のエイシーティエス社は、テネックス ヨーロッパ リミテッドに社名変更 平成9年10月 ㈱ツチヤテクノは、㈱テネックスエンジニアリングに社名変更 平成11年2月 総務・経理事務管理サービス会社として、㈱テネックスマネジメントサービスを設立 平成11年10月 企業体質のスリム化、強化策の一貫として、情報システム部門、非自動車部品生産部門、試作部門、出荷部門、工場保全部門、プレス部品生産部門を6社に分社 平成13年8月 資本金37億5千万円に増資 平成13年10月 英国のテネックス ヨーロッパ リミテッドの事業の再構築を目的に株式の売却と増資引受を実施 平成13年11月 英国のテネックス ヨーロッパ リミテッドは、マーレ テネックス フィルターシステムズ リミテッドに社名変更 平成14年1月 グループ内企業の統合化による管理業務の効率化と社内カンパニー制導入による意思決定の迅速化を狙いとして国内子会社9社を吸収合併 平成14年4月 社名を「株式会社マーレ テネックス」に変更。また、本社工場及び技術研究所の名称をそれぞれ埼玉工場、テクニカルセンターに変更。 平成14年6月 比国のテネックス フィリピン社及びテネックス ランド社の社名をそれぞれ「マーレ テネック フィリピン コーポレイション」(現連結子会社)、「マーレ テネックス ランド コーポレイション」(現非連結子会社)に変更 平成14年7月 韓国国内取引先向けの生産拠点及び日本への供給拠点として韓国釜山市にテネックス コリア社を設立(現連結子会社) 平成14年12月 当社所有の英国マーレ テネックス フィルター システムズ リミテッドの全株式を譲渡 平成15年1月 北米現地法人テネックス インダストリーズ インクとマーレ パー フィルターシステムの合併、合併後の商号をマーレ テネックス ノース アメリカに変更(現持分法適用関連会社) 平成16年7月 中国(中華人民共和国)に合弁会社マーレ シャンハイ フィルターシステムズを設立(現持分法非適用関連会社) 平成16年9月 タイ王国のサイアム テネックス マニュファクチャリングを連結子会社とし、社名をマーレ サイアム フィルターシステムズに変更(現連結子会社) 平成16年11月 マーレ ジャパン㈱による当社株式の公開買付開始 平成16年12月 日本証券業協会への店頭登録を取消し、ジャスダック証券取引所に株式を上場
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高校生対象!フィリピンワークキャンプ -- ブレーンヒューマニティー 2008-05-29 20 51 56 高校生の海外ボランティア ~貧困地域での幼稚園の補修~ この夏、私たちはフィリピン共和国ルソン島ザンバレス州オロンガポ市にてワークキャンプを行います。このワークキャンプではオロンガポ市内にある貧困地域に滞在し、幼稚園の補修や盲ろう学校への訪問、ストリートチルドレンとの交流等を行います。貧困地域で暮らすこども達が、その置かれている状況に左右されることなく、子ども達が充実した環境の中で学習し、成長していくことを目的として、作業を行います。また、オロンガポ市内でホームステイを行い、現地の人々と生活をともにします。現地の方々と触れあい、ともに幼稚園の補修のワークを行うことによって、普通の旅行などでは味わえない体験が出来ればと考えております。路上で生活する子ども達がいる現実、教育を受けられない現実、まともな食事を摂れない現実、そんな「貧困」の現状を実際に見て確かめ、「貧困」について考えてみませんか。 日程:2008年8月16日(土)~8月22日(金) 6泊7日 内容:貧困地域にて幼稚園の補修作業 連続3泊のホームステイ ストリートチルドレンとの交流 現地盲ろう学校への訪問・生徒との交流 現地高校生とのワークショップ 対象:高校生12名 申込締切:2008年6月14日(土)18 00 詳しくはこちら↓↓↓↓↓↓ http //www.brainhumanity.or.jp/yotei/philippines2008/top.htm 担当者:安武 翔(当会ボランティア) 名前 コメント
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Charice Pemengco(チャリス・ペンペンコ)の応援サイト You Tubeからフィリピン天才少女シンガー誕生!スター You Tube からフィリピンの天才少女”Charice Pemengco”(チャリス・ペンペンコ)が全米デビューを果した! Charice シャリース Crescent Moon Charice Pempengco Rhap Salazar Charice A Star Is Born Charice - "Pyramid" Charice Pempengco At Mandalay Bay LV May Charice Pempengco sings the National Anthem at Dodgers Opening Day 2009! Charice Pempengco @ Los Angeles Dodgers - April 13, 2009 Charice International videos Charice - I Will Survive (3rd and last song) Pre- Fight Night Charice - The Bodyguard Medley (1st song) Pre- Fight Night Charice - Billie Jean (with ALI SHUFFLE move) Pre Fight Night Charice's Fingerprints Shown on Giant Screens in Shibuya, Tokyo Japan Charice Pempengco HOT COMBO セーリヌディオンと一緒に歌う! CHARICE and Mommy Raquel sings Ever Since The World Began #bf
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略歴 上智大学外国語学部英語学科を卒業後、英国オックスフォード大学近代史学科にてMPhil(修士号)とDPhil(博士号)を修了。2007年4月より現職上智大学一般外国語教育センターの講師として、英語および太平洋日系移民史の授業を担当する。 研究テーマ研究分野は、アメリカ社会・文化史、コーヒーの歴史、移民史、ディアスポラ研究。学部時代から、ハワイの日系人についての研究を行い、博士論文はハワイ島コナにおいてコーヒー産業に従事する日系人の歴史とアイデンティティー形成・変容をテーマとした。現在は、在日・及び在比フィリピン日系人についての研究を進めている。 留学及び教育実績 2000年9月~2006年3月 英国オックスフォード大学留学 2004年9月~2005年3月 ハワイ大学マノア校エスニックスタディーズ学科客員 研究員 2006年9月~2008年3月 上智大学外国語学部英語学科非常勤講師 2007年4月~現在 上智大学一般外国語教育センター講師